阪神大震災から25年たちました。
あの時、私は、修学旅行でした。
阪神大震災は、直接は体験していないのですが。
あの時の恐怖を思い出すと、今も身体が震えます。



そんな思いが
10年前の産経新聞さんの「夕焼けエッセー」
に掲載されました。
父と共に。



今回。
父の文章を改めて打ち直していて。
父の、警察官としての強さ。
警察官の父の代わりに家族を守った母の強さ。
父母の夫婦の強さを感じられました。



そして、私のエッセーは。
震災特集の3選に選んでいただきました。

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震災25年に改めて。
振り返ります。


★修学旅行


「西宮だったら、震災大変だったでしょう?」
震災から数年、初めて会う人はこの質問が多かった。ところが私の返事は
「いや、実はね・・・」。

当時、私は高校2年生。冬の修学旅行は信州。初めてのスキー。夕方、宿に入り1晩泊って明けた朝、食堂のテレビが目に飛び込んできた。
「またどっかで地震やって」
はじめの印象はそれだけだった。そして次の映像にビックリして、隣の友人の肩をたたいて言った。
「阪神高速ゆうてる。倒れてるで」
他のクラスメイトも気づいていたようでザワザワし始めた。
「あの看板、見たことある」「あのビル知ってる」
皆の表情が一気に曇った。

全員を集めて先生が言った。
「関西で大きな地震があったようです。心配です。ですがキミたちは一生に一度の修学旅行に来ています。楽しんでください」
私は先生の言葉に共感できなかった。
楽しめるわけがない。家族は無事なのか?もし家族が死んでいたら、東京にいる姉を頼らなければならない。そんなことを考えて初日のスキーは終わった。

公衆電話から何度電話しても家につながらない。ニュースが伝える死者はどんどん増えていく。皆、祈るようにテレビを観ていた。

夜、やっと友達のお父さんの携帯電話につながった。
「こちらは大丈夫。修学旅行を楽しんで」

後でわかったことだが、全校生徒の家族はみんな無事だった。



★湯豆腐

上下に激しく揺れる突然の衝撃に、私たちは慌てて布団を頭からかぶった。
「ラジオ、ラジオ」の妻の叫びにスイッチを入れたラジオは、「京都方面で地震がありました」と極めて平静なトーンだった。

横倒しになったタンスを乗り越え、自室から出てきた長女。大きな本棚と机の間から這い出してきた父。各部屋は家具が倒れ、ガラスは割れ、混然となっていた。

しかし幸いなことに全員、けがはなかった。

その後、ラジオからは阪神間の大きな被害が次々と伝えられ、鉄道もストップしている様子であった。私は家族に後片付けを頼み、職場に向かうことにした。

大きな事件や事故、災害が発生すれば、私は自宅にいないのが普通である。台風直撃の警報下であっても自宅を出発する。こんな時こそ頑張らなければならない。警察官を志した者の責任だ。

次女は会社の研修で東京に。三女は修学旅行で長野にいた。三女は旅館のテレビで、自宅近くの阪神高速道路が横倒しになっている惨状を見、自宅に電話が通じないことに恐怖を覚えた。家族の死を意識し、次女に養われて暮らす覚悟までしたという。

4日間の連続勤務を1日だけ解かれ帰宅した夕方、支給されたカセットコンロで、家族と共に味わった湯豆腐のうまかったこと。

今も忘れることのできない思い出である。



父は警察官
次女の姉は、自衛官。


2人は、震災後、家にも帰らず被災された方をサポートしていました。
きっと、私たち家族には言えない体験をしているのだと。
改めて、尊敬した2020年1月17日でした。